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秀吉の口のうまさ明智光秀攻めで [テレビ]

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テレビで明智光秀を放送していた。
たまたま見たので終りの部分だけを見ることが出来た。

それは山崎の合戦で破れた光秀が滋賀県へ僅かな供の者と落ち延び、明日は我が子に会えると望みに胸を震わせていたのにその願いも虚しく落ち武者狩りにあってその夜、命を落としたという場面と山崎の合戦に赴く羽柴秀吉が諸将に何と言って味方についてくれるように要請したかという場面だった。

秀吉は大殿織田信長の弔い合戦に行くのでと諸将に説いたそうだ。

弔い合戦という言葉を使われると日本人は弱いわなあと感じた。こんな大義名分が他にあるだろうか。当時の武将も同じように感じただろう。自分の野望を隠して、殿の弔い合戦をすると訴えれば、多くの武将が自分に味方すると秀吉は読んでいたんだろう。番組では役者が相手に表情豊かに訴えている様を伝えていた。

なんて、巧妙な! 言われた人は味方するなあ。

山崎の合戦の開戦時には秀吉軍が光秀軍の3倍の戦力になったそうだが、本能寺の変を聞いて秀吉が取って返した時点では秀吉軍1万人に対して光秀軍1万6千人と圧倒的に光秀軍が優勢だったそうだ。

それが一挙に逆転してしまうには秀吉の口だけが原因ではないような気がする。光秀にはなくて秀吉だけにあったもの、それが何なのかよくわからないがそういうものが差を分けたのだろう。


そもそも光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのかと考えると今まではそれまでのひどい仕打ちに耐えかねて起こしたのだろうと考えていたが、その頃の信長は今で言うリストラを進めていたんだそうだ。そうしたら次の対象は自分だと考えた光秀が先手を打って仕掛けたといえば納得できるし、それ、自然だなあと思える。

光秀の一族はガラシャを除いて悲惨な最期を遂げているが、それらがリストラと関係があるなら現在と通じるものがあるなあと急に歴史を身近に感じるというものだ。



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